西原古道を往く
(紅葉もそろそろお終い・丸山みちのひとコマ)
あけましておめでとうございます。
今年もみなさん無事に山歩きができることを心より祈っております。
・・・・・☆
もうひと月前の山行きになってしまいましたが、先月の頭は西原古道を歩いてきました。
鶴川は渓が深く、山腹を高巻く径路がいろいろ残っていて、今回歩いた藤尾から沢渡までの道もそのひとつ。
(藤尾へのみちすがら)
藤尾といえば、バスで初戸(はと)を過ぎると、田和越えの暗い沢沿いの登りになり、バス停はそんな暗い沢底にあるので暗いイメージしかなかったのですが、それは県道が下を通っているからでしかないんですね。
実際の藤尾集落はバス停から↑↑こんな感じのつづら折れの車道をせっせと登ってたどり着く、
(藤尾・開放感のある明るい集落)
明るく、開放感のある、なんとも心洗われるようなところでした。
とはいえ観光客気分で訪れるにはたいへん良いところだけど、地元の方からは住むには厳しいところもあるというお話も伺いました。それでも今回一番心に残ったのはこの藤尾の集落でした。
(立派なケヤキ)
(紅葉の名残)
西原古道は笹尾根への登山道を左上へ分け、なおも山腹を行く道がそれで、車道の終点付近にたつ↓↓立派な私設??の道標が目印。
さっそく入ると道は一段高巻いてから、東へ向く水平道に変わりました。道は植林の中しっかり延びていて、往年の往来の多さを感じさせるものでした。植林なのはまあしょうがないところですけど、、、。
(コレが登山口です)
(ふんどし山 <寺久保山>)
ひと登りして着いたふんどし山は西側が少し開けた、雑木林の明るい山頂でした。ここで地元の方にふんどし山の由来を聞くのを忘れたことに気がつくという、、、(笑)
(西原古道・道は明瞭)
(帳塚原)
ふんどし山からなおも古道を東へ行くと、じきに丸山からの登山道と合流。まもなく出た尾根上の小広い平地が帳塚原。この日はここでランチになりました。
でも帳塚原って由来はもちろん知らないけど、場所がら賭博っぽいイメージも感じられますが実際はどうなんでしょう??あくまで自分のイメージですよ!
(オオモミジ)
その帳塚原から小棡へ下る道すがらが、この日名残の紅葉を一番楽しめたところ。
雑木林も多く、道としても好ましいですね。そうこうしているうちに小棡に降りてしまいました。
(小棡峠みちの馬頭観音)
(小棡の集落にありました)
小棡は明るい、しかし急な山腹に張り付くような集落で、道は一旦集落の下部まで降りてから、山道を拾って登り返すように延びていました。
道中ユズリハが植えられていたのは「棡原」にちなんでいるのでしょうかね、、、
(小棡のひとコマ)
(切通しを越え)
最奥の家からひと登りで尾根を乗り越し、再び山道に変わると、今度はある施設による自然にまつわるクイズのプレートを見るようになりました。
林間学校的なので子供をハイキングとして歩かせているのでしょうね。
(尾根を越えて)
(日武連山)
じきに十文字峠に上がり、日武連山に寄るも、こちらは植林下の山頂で休む場所もない感じ。
休憩もそこそこに沢渡へ向かいました。
(ここまでくれば沢渡は近い)
歩き出しは帰りのバスのことは考えてなかったんですけど、下って沢渡が近づくと、コレは間に合いそう!ちょっと急ぎ気味で降りたら、無事上野原行きのバスを捕まえることができました。
そうそう飯尾行きのバスも久々に乗ったら、朝の便がいつのまにか9時台になっていたのですね!帰りは15時台。これはハイカーの増減と云うより、バスのシフトの都合なのかも。若干痛いですけど、正直路線が残ってくれるだけでありがたい。それより小菅の湯の帰りの最終も繰り上がったようで、そちらの方が個人的には痛かったかなー。鶴峠発17時というのは夏の遅出プランには格好の便だったので、、、。
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