« 下部の山上集落を訪ねる 1 | トップページ | 仙元谷・ずるずるスノウハイク »

2008.01.23

下部の山上集落を訪ねる 2

B080123a
(上折門の廃屋)

この辺りを歩くようになって、折門峠に大字としての折門の名前はあるのに実際の「折門」はどこのあるのだろう、と言う疑問があったのですがその疑問が解けたのはそんなに昔の事ではなかったりします。

御弟子から折門へ向かうにはまず大平山南尾根の神社のある1031m峰北鞍部を越えなければいけません。御弟子から鞍部への道はおおむね地形図通りについていて、途中で道形が薄くなった箇所もありましたけど少し登れば明瞭な道になり、りっぱな山ノ神(これはけっこう新しい)を見ると見覚えある1031m峰北鞍部に上がります。

B080123b
(大平山南尾根1031m峰北鞍部の神社)

ここは鞍部を挟んで二つの神社?が相対して建っている面白い所で、両方の神社に参拝したらさっそく上折門へ下ります。実は新しい地形図だと上折門の集落自体(要は建物記号、ね)とそこへ至る道がそっくり消えているのですが道筋はまぁまぁ明瞭。そしていくつかの廃屋の姿が見えるとそこが上折門だと云う事は容易にわかりました。

時間の都合もあって全ては見てませんが、そこには少なくとも七、八棟の廃屋が残っておりしばらくは周囲を散策。お昼にも程よいので下っている時はここでランチにしようかと思っていたんですけど、倒壊した家屋に藪の被る集落の様子を見るとそんな気にもなれず、とりあえず下の下折門へ向かいます。

B080123c
(下折門の様子)

下折門へ向かう途中にも石組みのテラスがあってここにも何かあったのでしょうか?とにかく落ち葉の積もった明るい所だったのでここでランチを取り、ひと下りすると下折門でした。

こちらは上折門に比べると廃屋が少なく、道路の通る御弟子に近い上折門よりも早い段階で廃村になった?のでしょうか。それはともかく上折門に比べると周囲は幾分かスッキリしており、何か曰くありげな大岩(上まで登れます・↑の画像はその岩上から撮ったもの)もあってちょっと気になりますね。

B080123d
(三沢川を渡る橋)

こちらも少し散策したら今度は峰山です。三沢川へ降りる箇所はしっかりしていた道形が急に薄くなったりしますけど構わず道なりに行くと再び現れる感じ。天狗岩の北から来ている破線路は結局わからないまま三沢川に降り立ち(石組みあり。ここにもなにかあった??)、少し下ると朽ちた橋が架かって対岸へ渡ります。

B080123e
(峰山への径路は細いながらもしっかり延びている)

対岸へ渡るとこの附近で分かれる峰山へのトラバース道を捜さなければいけないのですが、三沢川沿いに下ってもなかなか見つかりません。でもあまり下っても道が見つかる可能性が低くなるだけなので、キリのいいところで橋の所まで戻って斜面を少し登ると、をを!道がありましたありました。(^^)

道はか細いながらもしっかり延びており、やがて見覚えのある去年登った天狗岩の南東尾根も見えてきてもう間違えないでしょう。その南東尾根を越えると峰山の集落が見えてきて、やがて林道の終点に飛び出しました。

B080123f
(峰山より、後の山は天狗岩)

そこには猟犬が繋がれており、ワンワン吠えられながら林道を下るとじきに峰山に到着。見上げれば天狗岩がそそり立っており、開けた南面からは去年峰山を見上げた反木川 三沢川中間尾根や常葉川 反木川中間尾根が一望。

そして林道を先へ行くと意外や真新しい「蛾ヶ岳登山道入口」の看板もありました。途中にも道標が設置されたのかなぁ?でもここから蛾ヶ岳へ登る人は今でもかなり少ないんでしょうね。

B080123g
(大山への?旧径路も道形は残っている)

峰山を過ぎたらお次はこの日の最後の山上集落にしてボクが唯一過去に訪れた事のある大山。今回ボクがこんな山行きを思いついたのもそもそも蛾ヶ岳南東尾根を歩いた時に大山を通りがかり、その明るく開放的な雰囲気が印象に残っていたからなのです。

次の沢(沢名不明なので・・・)へ降りるまでは林道を歩くつもりでいたのですが、ここも道祖神を飾ってある場所からしばらく行くと先に旧道が残っており、うざったい林道をかなりショートカットできたのは幸運でした。

B080123h
(これが大山への径路の取付)

三沢川で峰山への道を捜すのに苦労したので、大山へのトラバース道を見つけるのにも心配していたのですが、最初の堰堤であっさり見つかり一安心。こちらも峰山へのトラバース道と同様、道は細いもののしっかり延びていて辿っていてもう間違えないと確信できるもの。

B080123i
(上小磯からの径路との合流点)

道さえ見つかればあとはもうこの道を辿るだけだと思っていたのですが、道が653m峰の尾根を乗り越したところで尾根を乗り越す道にそのまま入ったら、その道はトラバース気味ながらも下っていくばかり。

下っているうちにこれはおかしい、と思って枝尾根を乗り越したところでその枝尾根を登ると無事に本道と合流。先の道はおそらく上小磯にでも下るのでしょう。その本道もしばらく行くと上小磯からの破線路と合流(石仏あり)。若干登り気味の道を選ぶと見覚えのある大山にようやく着きました。

B080123j
(大山にて)

まずは集落の切れた奥の神社に参拝。少し下った所でボクがはじめて見た双体道祖神とも再会を果たしました。暮れなずむ集落からは富士も南アも見えてフィナーレとしては最高のシチュエーションなのですが、前泊した身ではもうタクシーを呼ぶお金はありません。

ということで大山から身延線の久那土駅までもう一頑張り。蛭坂峠の方は歩いた事があるので今回は樋田(といだ)川側を下る林道を下ったのですが、こちらも途中でかなりショートカットできて久那土駅までは結局一時間半ほどの道のりでした。

B080123k
(久保より、樋田川流域の様子)

今回は少し長い行程でしたが、山上集落の明るく開放的な様子、古の雰囲気が残るバラエティに富んだ道のり、道探しの楽しさ、雑木林の多さ・・・などなどいろいろな魅力が相俟って、と言うよりそれらが相乗して想像以上に楽しい、そして会心の山行きというか山旅でした。

今回歩いて地形図に載っている以外の間道も多数ある事がわかったし、この辺りの訪れたい集落もまだまだたくさんあります。今回歩いて思ったのはそういう集落を訪ねるのは車ではなく消えつつある山道を歩いて訪ねてこそ面白いものだし、そうすることで往年の雰囲気も少しは体で感じられるのかな、ということ。こちらの方はなかなか足を伸ばせないけど機会を見つけてまた歩きたいです。
 
 
おしまい。(^^)
 
 
・・・・・☆

ということでこの日のREPはこちらをご覧くださいませ。(^^)
 

|

« 下部の山上集落を訪ねる 1 | トップページ | 仙元谷・ずるずるスノウハイク »

【御坂・天子・富士 2008】」カテゴリの記事

コメント

かずさん、こんばんわ。

民族を探求するというよりは、記事の冒頭にも触れたんですけど、一度あの辺りを訪れるとあそこの山上集落は気になる存在になってくるんですよ。ほーんと良いところなの。

そんな良いところが古い山道でみんな繋がっている・・・と分かれば謂われはどうあれまずは歩きたくなった。なのでまともな知識もないまま実行したのでした(笑)。

投稿: komado | 2008.01.27 22:19

リブルさん、こんばんわ。

山の本、特に昔のは当時の状況なども記されており思い馳せるものがありますね(^^)。この辺りの書物はまだ見つけていなくてというか一度図書館へ行かなきゃといいつつ未だにそのまま放置していたのでした。

今回歩いていろいろ調べたくなったので今はボチボチ方々を当たっているところです。

投稿: komado | 2008.01.27 22:16

ba_sobuさん、こんばんわ。

そう今はお正月の直後というトコもあり、山中にある祠でもきちんと面倒見されているのを見かける機会が多いような気がします。今年は子ノ権現への道すがらのイモリ山のもそうでした。

そう言うのを見つけた時の嬉しさってありますよね。思わず手を合わせてしまうと言うか。。。そおいや峰山と大山の道祖神は周りが随分カラフルに彩られていましたけどこれは小正月のせいかも。

投稿: komado | 2008.01.27 22:13

民俗を探求する歩きっぽい?
開拓精神いっぱいのレポ楽しかったです。
折門(御弟子)は坊主の村、隣接する八坂は武士の村との言い伝えがあるそうです。
折門には銅山もあったそうです。詳しい場所はわかりませんが…。

人々の営みの形跡って、当時を偲んだりしたくなりますね~。

投稿: かず | 2008.01.27 16:48

komadoさん、こんにちは。

最近すっかり山の本の魅力に取り付かれて、だいぶ買い込んでいるのですが、komadoさんのこの記事は十分に本になるような内容ですよ。ゆっくり楽しませてもらいました。

昔の人の生活などを思いながら訪ね歩く山旅、そんな会心の山旅ができてよかったですね。おそらく、何年か経った後、このときの歩きのことが良き思い出になるでしょうね。

投稿: リブル | 2008.01.25 21:46

会心の山行きができて…うまく歩き終えられて
おめでとう……っていうか 満足のようすが伝わってきます


丹念に道を追い、壊れかけた橋や道祖神や傾いた家屋にであおいながら、の 山旅って なかなかですね (^-^)

三条新橋のすぐ上の祠に お米やお酒が備えられていましたが いったいどなたが?…と。もいや、もともとここいらに(集落があり)住んでいた人か、水道局の人か? 落合あたりの人か・・って。今は廃村であっても、去った人(あるいはその子孫)には 格別の思いがあるのでしょうね・…などと、わたしはこういう場所に行き会うと いろいろな思いが巡ってきます、
この記事を読みながら、自分が歩いたような気分になり、じっと写真に見入ってしまうのです。

投稿: ba_aobu | 2008.01.24 23:06

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 下部の山上集落を訪ねる 2:

» 小正月の道祖神祭りという [好奇の風★TAKT]
1/14(祝日)に営業していて在宅率が異常に悪いことに気付いた。 親切なおばさんに教えてもらったのだが、 小正月の道祖神祭りという風習が 山梨県・長野県近郊で盛んに行われている事が 原因の一つらしい。 色々ネットで調べてみると、、、 子供はお菓子を貰い歩き、 みかんを焼きを食べると風邪ひかないとか、 繭の形にした餅をドンド(ン)焼きといって食したり、 書初めを燃やして、願いがかなうことを期待したり、 ハロウィンとキャンプファイヤーの混合? ご利益も、交通、無病息災、豊穣、学業成就と何でも 聞... [続きを読む]

受信: 2008.01.24 13:54

« 下部の山上集落を訪ねる 1 | トップページ | 仙元谷・ずるずるスノウハイク »