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2007.03.06

芦川北稜・・・北から南へ

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(曽川左岸尾根にある廃寺)

今年もはや3月に入ってしまい18きっぷの使えるシーズンとなりました。ということで日曜(03/04)は本当に珍しく御坂の西端は芦川流域の連荘でしたが今回は南稜ではなく北稜の方。豊富の関原から三珠の中山へ抜けるコースを組んで歩いてきました。

今回はバスで甲府駅から豊富(現中央市)へ出てからのスタート。んが、豊富終点でバスから降りたらバスの車中に半分寝ていたこともあって現在地がわかっていませんでした(笑)。バス停付近の道も新しくて地形図と照合できないし。。。

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(764m峰の西尾根はこんな感じ)

しょうがないのでとりあえず目の前の尾根が登る予定だった甲府・中央市境界尾根だと思ってとことこ歩いて行くと、尾根に近づいた所で何か様子が違う。おかしい。とそこに地元の方が通りがかったので、お話しがてら現在地を聞いたら関原の西隣にある大鳥居にいたことがわかり慌てて関原へトラバース。初っぱなから40分程ロスしてしまいました。

ようやく関原に戻ったとはいえ、当初予定していた414m峰東隣の破線路の取付まで行くのは少々面倒なので、沢沿いにしばらくいってから適当な所で境界尾根に取り付く事にして、まずは関原峠みちを捜しながら沢(沢名調べるの忘れた・・・)を奥へ行きました。とはいえ実際は堰堤工事に使われていた林道が延びていて関原峠みち自体も分岐もよくわかりません。

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(ダンコウバイは満開)

その林道も堰堤を二つほど越えると終わってしまい、ここで沢床に降りて堰堤をいくつか高捲くと明瞭な二俣に出ます。地図を見るとそこは500m圏でその間の尾根は境界尾根764m峰の西尾根。見た目にも無理なく行けそうなのでここでようやくその西尾根に取り付きました。

尾根は痩せた岩尾根で藪も少なくて歩きやすく、そして尾根の両側には満開のダンコウバイが思いの外多く咲いていました。しかも振り返れば霞んでいるものの北岳が聳えているというなかなか楽しい尾根。先週は凄く寒かったのに、そして3月始めだというのに汗をかきかき二俣から30分ほどで764m峰に上がると、境界尾根の方にはそれなりに明瞭な道筋が通っていました。

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(大峠附近の緩斜面)

764m峰からこれまた30分ほど登ると芦川北稜と合流。落ち葉の敷き詰められた広尾根というか緩斜面の奥にある一番の高みが七覚山(946m)で頃合いも良く、今回はここでランチとなりました。展望は皆無だし若干荒れ気味ではあるけど、広々とした雑木林の元で休むのは気持ちがよいです。結局また少し昼寝をしてから(笑)、北稜を西へ行きます。

芦川北稜を歩くのは丸三年ぶりでしたが変ったところはほとんどなく、灌木の茂る荒れ気味の雑木林に、植林帯、そして時折通りかかるスッキリとした雑木林を交えて行きますが、道中ゴミが多いというか増えているのには閉口しました。袋のままのはつい先月の日付。。。(-"-;) せめてハイカーの仕業でないことを祈りたいです。

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(曽川左岸の高捲き道。道形はほとんど消失していた)

関原峠に降り、茶屋平を越えてもう一度登り返したピークが大峠で、ここですぐ先の912m峰に一度寄って901m峰方面を一瞥。それから雑木の広がりが心地よい尾根を慎重に降り、降りきった鞍部が北稜の南側を流れる曽川源流部から中山(居平)へ下る破線路の分岐で、南へはそれなりの道形がきちんと下っていました。

さっそく南へ下りはじめたものの曽川の源流部に出た所で早くも道形はなくなり、しばらくは右岸を行く感じ。そして水流があらわれると912m峰と901m峰の鞍部から来ている枝沢と合流。破線路はここから左岸を高捲くのですが、左岸側は10m程の岩壁になっていてとりつくしまが全くありません。しょうがないので少し下ってから上がれそうな斜面を見つけて這い上がると薄いながらも破線路と思しき道形を見つけて一安心。

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(廃寺の建物の中は・・・)

あとはこのままその道形を辿ればいいのですが、この先道形は殆ど消失しており、実際は崩れを捲きながらぐずぐずになった急斜面のトラバースを延々と強いられる危険なもので当然ながら廃道状態。でもそんなしんどい道のりも901m峰北西尾根の一つ北にある肥えた尾根に上がると、すぐ先に立派な建物が・・・そうそれが地形図に載っているお寺でした!

その場所からして今は当然廃寺ですけど、建物は思いの外しっかりしており↑のような天井画も残っていてました。そのお寺からは上へ上がる明瞭な道筋がついていましたが、試しに辿ってみてもどんどん上へ上がるだけなので今回は地形図の通り(実際は若干違っていた)なおも急を斜面をトラバース。20分ほどでようやく901m峰北西尾根に上がって一息つけば、あとは中山へ降りるだけです。

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(高捲き道から901m峰北西尾根に上がった辺りか)

北西尾根から尾根を外れる箇所も難なく見つけられ、真っ暗な壁のようにも見えた南稜を見上げながら明るい雑木林の中をグングン下って中山に無事到着。昨年末は真っ暗な中を通りがかったこの辺りも、明るい時は千波の滝がちゃんと見えるんですね。下から見ると水量はともかくその落差(150mほどでしたっけ?)はなかなか壮観です。

そして中山から芦川駅へも去年末の下見で(笑)だいたい一時間とわかっているので、周囲の様子を見ながら県道をちんたら歩いて駅へ向かいました。

北稜を歩くのは久しぶりでしたが、こうやって歩いてみると実際楽しいし、そしていろいろな楽しみもありそうだということに気がついて、収穫多き一日でした。今度こちらを歩くのはいつになるかわからないけど、迦葉坂あたりが気になるかな~。(^^)(^^)

・・・・・☆

ということで、この日のREPはこちらをご覧くださいませ。<(_ _)>
 

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【御坂・天子・富士 2007】」カテゴリの記事

コメント

確かに難しいけど、今は判別できるよん。(^^)

投稿: komado | 2007.03.14 00:01

今だ、ダンコウバイとアブラチヤン見分けがつかない・・ぼそ

投稿: kuro | 2007.03.13 08:28

地形図に乗っているとはいえ・・・いやホントに立派なお寺。あそこまでしっかりと建物が残っているとは思っていなかったので、本当に驚きました。

ここは旧三珠の図書館で調べればおそらくすぐにわかると思うので、何とか機会をつくろうと思っています。でもこれはbbsの方でも触れたんですけど、当日この経路に入る手前で地元の方らしき猟師さんとお話しした時にこのことが浮かばなかった。それがちょっと口惜しくて。。。

そうか桐は豊臣家の家紋なんですね。左中央のはわからないけど左下のはボクも知ってた抱き茗荷なので天井画はみんな家紋なのかもしれません。かずさんのデジのように好感度のヤツだったらくまなく取っていたと思う。惜しかったです。

投稿: komado | 2007.03.11 22:04

芦川までの夜道も今回役に立った(笑)みたいですね~。
遠回りの道もいつか役に立つこと、僕にも経験あります。

エアリア以外のところは地形図が無くて、なかなか行けないのですが、読みながら、実際に歩いている気分になりました。

それにしても、廃寺の天井画は見事ですね。
市の文化財クラスなのでは~?
こんな貴重なものをほったらかしなんてもったいないですよね。
描かれているのは家紋ですかね?
右のは豊臣家の家紋に見えてしまうのですが、気のせいかな?

投稿: かず | 2007.03.11 18:58

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