今年は花の当たり年??
(小菅大菩薩道・・・赤沢からの登りだし)
先週大常木林道の核心を歩き終えて、ムジナノ巣に上がった途端デジのメモリがおかしくなってしまったので、もしや・・・と思っていましたが、やはりというか昨日山道に入ってまもなくデジが壊れてしまいました。(ToT) なので今回は文章のみの構成になります。<(_ _)><(_ _)>
ということで昨日(05/28)は久しぶりに小菅からノーメダワに上がり大黒茂林道~大菩薩嶺北尾根と歩いてきました。もうお分かりの方も多いでしょうが(笑)、掲示板でのKandaさんの記事がきっかけです。(Kandaさんいつもありがとうございます!)
今回はノーメダワへ出るのに追分廻りでも直登コースでもなく、小菅大菩薩道を上がってその中腹から東にノーメダワへ延びている水平道(巡視路)を辿って出てみました。
登山道の大菩薩道も良いんだけど、この水平道もなかなか。分岐には道標があり見落としはしませんでしたが、すぐに出る掛小屋の分岐でかなり迷いました。が、ここもなおも水平に延びる道が正解(古い小菅への道標あり)で、そこから先の自然林が素ん晴らしく、トウゴクミツバツツジも見頃。新緑にツツジのムラサキのコントラストがとにかく見事。
それにデジのない時に限って今年は再会を諦めていたラショウモンカズラにも逢ってしまうし、なんとも嬉し・口惜しの道のり。今回のルートは遠回りだと思っていたのに時間的には追分廻りより若干かかるぐらいだったのも意外でした。
んで、ノーメダワに上がればあとは通い慣れた道。小室川方面へ一歩足を踏み入れるとシロヤシオの花柄が一面に落ちていてそれだけでもうドキドキ。でも花が多かったのはやはり北尾根の辺りで、盛り過ぎに訪れた2年前は咲いていたのを何とか見つけて狂喜していたのに、ここはこれだけ咲くのかぁ・・・といった印象。やはり今年は花付きが良さそうです。
密かに狙っていた去年逢えなかった同士のシロとイワカガミの再会も、競演という最高の形で果たせたし、トウゴクミツバツツジも見事。なおも下ってツツジがなくなったなぁと思ったら今度はチチブドウダンとのお出まし。これも嬉しかったです。
他の方のサイトを拝見しても、シロに限らず今年は花付きがよいとの話です。takigoyamaさんがおっしゃっていましたが、「今年は花の当たり年」なのかもしれませんね。
とにかくこれから夏場に向けて本当に楽しみ。でもあんまり咲き過ぎちゃうと今年も高い所へ行くヒマがなくなっちゃう???
・・・・・☆
ということで05/28、小菅~小菅大菩薩道~ノーメダワ~大黒茂林道~大菩薩嶺北尾根~三条新橋~丹波を歩いてきましたが、REPの方は今回はありません。悪しからずです。<(_ _)>
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コメント
ba_sobuさん、こんばんわ。
写すにしろ焼き付けるにしろ、その行為って実はもの凄いエナジーの要るもので、体力のない私にはなかなかできないし、そんなことを意識していたら山歩き自体が楽しめなくなっちゃう。
心に はっと 残るものって、自律的にも残せることは残せるんですけど、私の場合は大半が「焼き付いた」ものです。要は時間とか、瞬間的かつ膨大なエナジーが絡んでいるとか、感覚的に了解した瞬間とか。。。
結局の所、写真も文章も同じだと思います。記録すると云うことに於いては。どんなことしたってその人となりが出てしまう。
芸はパーソナルって立川談志がいっていたような気がするんだけど、「芸」は他の言葉にも置き換えられると思うのです。
投稿: komado | 2005.05.31 23:53
わたしもカメラについては同じような気持ちがあります。でもカメラをいつも持っています・・・。
デジカメの前はメモをとってました。でもメモなんかとらずにもっと自分の体で、感じられないのかよ、と 自問自答していました。だって感じたことを言葉にしたとき、言葉から漏れちゃうものを どうしてくれるのか・・・ってね。 (^^)
今はカメラなんかで写さずに、自分の目で見ろ、それを心に写せ、と思うけど、心に写したものは、家に帰るとすっかりマッシロになってる。それは 日頃カメラに頼っているせいかもしれないじゃない?。・・・カメラはきっと手放せないけど、写真をとって見たつもりになることだけは、気をつけなきゃね。ほんとうにこわいよ。
山行記だって同じ。コトバに置き換えられなかった 幾千幾万のもろもろを なくしたくはないのです。
でも ほかの人の 紀行や写真を見るのは好きです。それはその人が、たとえば 綺麗と思ったものを わたしも綺麗と 思えるから。 そのひとが いいなぁというもの、なん%かでも感じることができるから。それはとても楽しいことです
ということで結局は、なにも考えずにパチリパチリしています。 とにかく なにごとも自然体。
なにをいってるのか、自分でも分からなくなったところで、お時間となりました、。
投稿: ba_sobu | 2005.05.30 23:59
シマダさん、峰さん、こんばんわ。
告白すると、私はデジを持つまでというか購入する少し前ぐらいまで、写真というものを全く信用していませんでした。というよりイマジネーションをスポイルするもの・・・とまで思っていましたし、コピー的だったらまだ良いんだけど、タブロー的に撮るものにはもの凄い違和感を感じていました。
でもそれが変わったのはおそらく鵜野森さんのページを見てからかなぁ。あぁ、写真でもこういうやり方があるのか!って。
そして自分でも撮り始めてみると、これがけっこう面白いし、心に焼き付けるといっても儚いというかごくごく一部で、やっぱそのままだと忘れちゃうのが多い。
それが過去の写真を見ただけで、当時の感覚が一気によみがえる。写真ってそんな役割もあるんだなって事に気がついたのは愚かにもつい最近のことです。
露出も絞りもあまり理解できていない藤四郎なのに写真を褒めてもらえるのは嬉しいのですが、それはやはり写るものが、そしてカメラ自体が良いからに過ぎません。これだけは声を大にして云いたい(笑)。
私は山行きの時にメモはとらないので、時間管理は頭の中でやれていますが、パーティになると不思議とダメなんです。おそらく気が抜けるんでしょうね。
> カメラなど無くても楽しめるといった山行が基本だと思います。
同感です。これはFYAMAに投稿する時から決めていることなんですけど、REPの為のとかサイトの為とかの山行きはやめよう、ということは常に心の中でしつこいぐらいに確認しています。
もし義務でやるようになったら・・・少なくとも自分のサイトはやめるでしょうね。表現するより歩く方が好きですから。
投稿: komado | 2005.05.30 23:44
・・・そうなんですよね・・・心に焼き付けるという方が結構多いです。わたしの遠縁の方で、もう高度成長期の頃から一之瀬、大菩薩のやまやまに分け入っている人がいるのですが、写真は一切撮らないそうです。(写真を撮っていれば昔の一之瀬の雰囲気が分かって楽しいのですが・・残念)
デジカメを持っていくと、ネットのために写真を撮らねばならないような気がしまして、どことなく楽しみ半減・・ですので最近は持っていきません。
なんかネットで公開するために山に入っているような気になっちゃって・・
これって逆転ですよね(笑)
まああまりこれを強くいっちゃうと、せっかくkomadoさんがこのページを作って私たちの目を楽しませてくれるのに失礼なんですが・・(アセアセ)。
デジカメ・・おまけに写真で、時間管理をすると、なんか今まで身に付いた自然と覚える「時間管理」がおろそかになるようで、こっちのほうが恐いです。
わたしは年に数回だけカメラを持って行くぐらいにしようと思っています。そんなときは鮮明に写る銀塩の方です・・。大型三脚を背負って「牛」の方へ・・・謎
投稿: 峰 | 2005.05.30 22:57
カメラが不調で残念でしたね、まあ僕も一年前までは山にカメラは持って行きませんでした、それでも充分楽しめたし、撮ってどうする?といった感じでした。
カメラがいいなと思ったのはデジカメになって時間などの情報の管理がとても便利だと気が付いてからです。
今でも風景や草木の雰囲気、動物の動きなど体で感じるものだと思っています、したがって写っているのは場所の特定に結びつくものが殆どです。いい感じの景色や植物などは一応撮って見ますがまあモノにはなりません。
才能の有る方や特定の目的のある人はどんどんいい写真を撮って楽しんだり公開されたりすればいいと思いますが、カメラなど無くても楽しめるといった山行が基本だと思います。
投稿: shimada | 2005.05.30 22:05